December 30, 2024

2024の振り返り。慌ただしくも単調、でもそれでいいじゃん(開き直り)。



生まれ育った国と違う国で生活することは、日々珍しい出来事の連続でエキサイティング、側から見ればなんだか華やかで刺激に満ちた毎日を送っているように見えるのかもしれません。

しかし、今までとどんなに違う暮らしでも、人は慣れてしまうものです。2023年10月から始まったこの国での暮らし、2024年は高いテンションを保ちながらも単調に過ぎていった、そんな1年だったかなと年の瀬に振り返っているところです。

。。。とはいえ、この1年のinstagramやtwitter(X)の自分の投稿を見返してみると、我ながら思いのほか動き回ってて、とても「単調に過ぎていった」とも言いがたく。

諸般の事情により行き先をここに書くことさえ憚られる某国某所への海外出張が4回。それとは別の、あんまり日本人が行かない某国への出張が2回。私的な旅行にも2回出かけ、それぞれエジプトのシャルムエルシェイクとルクソールに行ってる。その合間に日本への一時帰国が2回。毎回一時帰国中に東京と福岡を2往復して計4往復、加えて広島と群馬・四万温泉にも行ってる。都内某大学で講義もしたし、サッカラのピラミッドも見に行きました。

電車に乗った回数よりも、飛行機に乗った回数の方が多い1年だったようです。

熱を出して寝込んだのが2回、食あたりで休んだの1回、大掛かりな歯科治療というか手術をしたのも2024年。インフルエンザの予防接種で体調崩して休んだの1回、そういえば腎臓の精密検査も受けたし、髄膜炎の予防接種も受けてる。

これが全部、今年1年の間の出来事か。この出来事が全部収まるほどに1年は長く、慌ただしい1年でした。

とはいえ、ずっと出来事が続くのが日常になって、それがむしろ単調に感じられるのも事実で。「慣れ」とは、そういうものなんですね。

* * *

それなりに年齢を重ねたせいか、「5年後、10年後を見据えて人生を計画しましょう」「そのために来年はこうしましょう」とかいう話が響かなくなりました。

日々目の前にある課題を片付けて、日々それなりに暮らしていければいいのではないか。慌ただしいけれどそれなりの密度感をのある生活の中で、求められる自分の役割を果たして、感謝し、感謝される日々でいいのではないか。

僕は2025年も慌ただしくなりそうです。

みなさまの2025年が良い年になりますように!

December 25, 2024

お誕生日おめでとう、自分(2024)。


12月も半ばを過ぎると関係先も徐々に休暇モードになって動きが緩慢になり、うちの事務所もスタッフが長めの休暇を取る時期になります。

子どものいるスタッフは学校の冬休みに合わせて休暇を取り、日本にいるじいちゃんばあちゃんに孫と正月を過ごさせるため、いそいそと荷造りをして空港に向かいます。

僕は独り身だし、それなりに年も重ねてしまって事務所の責任者なんぞにされてしまっているので、年末年始は家族のいるスタッフに優先して帰国休暇を取ってもらうことにして、ここ何年かは任地でお留守番する役割をかってでています。最後に日本で正月を過ごしたのはもう、何年前のことだろうか。

大晦日の夜中だけは地元の若い人たちが通りに出て騒いだりするはずですが、普段より車も人も少なくなった町で、ワイン片手にパジャマのままぼんやりと映画を見たり本を読んだり。当地は年末年始よりもラマダンや犠牲祭の休暇の方が大事なせいか、幸い年末年始も休まない店が多いので、引きこもりに飽きたらジムに一汗流しに行ったり。

そんな過ごし方も嫌いじゃありません。

今年もそんな季節になりました。そして、そうやって一人で迎える僕の誕生日ももうすぐです。

お誕生日おめでとう。

June 18, 2024

年食ってなお、一人旅。


 最後に一人旅に出たのはいつだったろうか。

独り身で海外赴任したり、そこからまた別の国に出張したりを繰り返しているので、ずっと一人旅してるみたいなもんじゃないかと言われればそうなんですけど、でもまあ仕事から離れて飛行機と宿を私費で予約して出かけるのはまた別の話だ。

用務ではなく、
友達や家族と一緒ではなく一人で、
宿泊を伴い、
帰国や帰省でもない旅。

遡ってみると、2018年7月が最後でした。
そして今回が、2024年6月。6年ぶり。

一人で豪奢なリゾートホテルに泊まっても仕方ないので、ビーチに面していて、スキューバダイビングのショップに併設されたロッジみたいな宿を選んで、飛行機で1時間そこそこで行けるスキューバダイビングの聖地と称される場所に足を伸ばしてきました。

海の中は一面に広がる珊瑚の上に派手で不思議な色をした魚たちの影が濃く、また色や形が派手なだけでなく図体も大きい魚がそこかしこにいて、それはそれは美しく、そりゃ「聖地」と呼ばれるのも納得でした。

*   *   *

しかし悪い予感が的中。

僕は前回の一人旅から6才年をとっているし、また最近なにかと体調を崩すことが多くて低調なせいもあったのか、これまでにない激しい乗り物酔いの症状に見舞われ、嘔吐して顔面蒼白、ボートに同乗のみなさんに心配をかけてしまいました。

*   *   *

宿のベッドで安静。

そういえば僕は、人生最初の一人旅だったインドでも、ムンバイの安宿で体調崩したことがあった。あの時の自分と同じだ。水や食べ物を買いに行くのも億劫で、でも飲み食いしないと体調は回復しないし、青い顔をして表に出たんだ。あの時と同じだ。

一人旅。
自由で気ままなんだけど、なんでも自分で始末をつけなきゃならない。

ムンバイの安宿で気怠く回る天井のファンをうらめしく眺めていた僕は、まだ社会に出たばかりで何者でもなかった。しかしあれから年月も経って、今の僕にはそれなりの肩書が付いたりなんかしてます。それでもこうやって、ダイビングショップのロッジで一人寝ていると、あの時の僕が今の僕の中にちゃんといるのに気付いたりします。

幸い今回は、激しい症状だったとはいえただの乗り物酔いなので、夜にはご飯も食べられるようになり、翌日は海に浸からないエクスカーションに出かけるまでに回復したのですが。

優雅な独身貴族の一人旅、とはなかなかいかないのですが、自分が自分であるために、たまには一人旅に出ないといけない気がします。

May 07, 2024

「スローシャッター」への共感と嫉妬。


学生の頃からバックパッカーもどきの旅行を繰り返し、社会人になってもその癖は止まず、いつしか海外出張や赴任を繰り返す生活になりました。自分で旅をして自分で未知の土地を歩いてきたので、あえて他人の旅日記を読む気にはならず、旅行記や紀行文を読むことはあまりありませんでした。


思えば僕は、業種は違えど、この本の著者の方と同じようなことをやっています。もちろん同じ経験をしたわけでもないし、訪れた町も違うけど、日本人がほとんどいない町に出かけ、こんな仕事をしてなければ決して出会わなかった人たちと出会い、刹那ながら何か人であることの本質に触れるような時間を過ごしてきました。


すごく遠くて、すごく違う土地柄で、なんの必然性があったのか分からないのだけど、その人に出会う。空港に行き、飛行機に乗り、その町に着き、人と出会い、仕事をし、飯を食う。きっと多くの出張者や駐在員が、それぞれの滞在先で、高揚感と緊張感を微熱のように抱えながら繰り返してきたことです。


「スローシャッター」(田所敦嗣著)には、その情景と空気感が鮮やかに収められていました。同じような生活をしてきた者の一人として共感し、またそれを言語化し1冊の本に収めた才能に嫉妬する本でした。


https://www.amazon.co.jp/dp/4801492622/

April 27, 2024

海外赴任:2つの暮らしを切り替える。

 


海外赴任をしてしばらく経ちます。
割とハードシップの高い国でのややこしい仕事なので、概ね1年に1回くらいは長めの休暇をいただいて日本に帰国します。でないと持たない。精神的にも肉体的にも。

そんな一時帰国は、1年分の「私生活」を1か月に詰め込むような過ごし方なります。家族親戚友人知人、お世話になった人やお世話したい人と会い、好きなお店や気になっていたお店に行き、海外で手に入らないものを買い集めるのです。

海外にいるときの自分と、日本にいるときの自分の両方を知っている人は少なくて、2つの別の暮らしをしているような感覚です。

とはいえ、二重生活というのとはちょっと違う。裏表があるとか、どちらかを隠しているとかいうわけではないし。ただ、1年に1か月くらい、ものすごく違う場所で、ものすごく違うリズムの過ごし方をするのです。使う言葉まで変えて。

海外に在留届を出している日本人は100万人以上いらっしゃいます。その方々がどんな割合で海外と日本を行き来されているのかは人それぞれでしょうけど、2つの別の暮らしを切り替える感じを分かっていただける方も多いんじゃないでしょうか。

旅には少し似てる。ただ、旅は日々の生活があっての非日常で、日常の暮らしから飛び出したところにあるのだけど、僕のような海外赴任者にとっては海外暮らしも日常の暮らし。海外と国内、どっちが主でどっちが従という差がない。2つの別の暮らし。

そんな2つの暮らしを切り替えながらもう相当の年月を過ごしてきましたが、それでもまだ、飛行機に乗っている時間だけでは2つの暮らしを上手に切り替えることができなくて、日本の家でも海外の家でも、帰り着くたびにぐったり、ぼんやりしてしまうんですよね。

ということで、一時帰国から海外の家に戻って、ようやく日本滞在の微熱も冷めてきたところです。

日本滞在中にお付き合いいただいたみなさま、ありがとうございました。また今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

February 03, 2024

話しても話さなくても。



元々饒舌な方ではないのだけど、さらに口数が減った実感がある。居酒屋やバーで気の置けない友達と他愛のないことをしゃべるとかいう機会がほとんどない日々が続いて、雑談の感覚が鈍っているというのは、ある。


それもあるのだけど、年を重ねて経験を踏んでたくさんのことを見聞きしたせいか、その場の話されていることについていろんな考えが巡ってしまって、一言まとめられなくて、考えている間に次の話題に流れていってしまう感じ。


で、僕が話さなくてもみんなが面白おかしくその場を盛り上げていて、まあそれを聞いてればそれで満足したりして。静かにだれかと対話するのは苦ではないんだけど、複数人の雑談、特にお酒の席での話術は以前にも増してヘタクソになった。


ニューシネマパラダイスという名画で、青年になったトトが老いた映写技師のアルフレードの寝室を訪ねて「引きこもって、あまり話もしないと聞いたよ?」と聞くシーンがある。アルフレードは「話しても話さなくても同じことだ」と答える。


昔はそれを、人生を感じさせる渋いセリフだなと思ったけど、今なら実感を伴って理解できる。僕も老いたよな。

December 29, 2023

また1年が経ちました。

 SNSのおかげで、今年も世界中に散らばった友人知人からお誕生日のお祝いメッセージをいただけました。ありがとうございました。

また1年が経ちました。


2023年、個人的には慌ただしい1年でした。

春、体調崩して夜中に気を失って倒れ、歯を折るやら打撲やら縫合を要する裂傷やら。その数日後に久しぶりの日本で、治療の傍ら、東京、福岡、高知。日本から戻ったらまた片道4便を乗り継いでジュネーブ出張。夏には反対に大物出張者の受け入れ。秋、不安定な航空便に悩まされながらの海外から海外への引越し。その合間に東京にちょっと寄って所用を済ませたり。そして、新しい街での生活の立ち上げ。それがようやく落ち着いてきたと思ったら、もう年末、誕生日です。早い早い。

期待され、お声がかかり、会おうと言ってくれる人がいて、仕事があるのはありがたいことです。そうやって慌ただしくしているうちが花なのかと思ったりもしますが、いつまでこんな生活が続けられるのかと、ふと振り返ることもあり、鏡を見るとずいぶん老けた自分がいます。

特に体力の衰えを感じているわけでもなく、なんならベンチプレスは前よりも重量上がるくらいなんですが、僕によく似た骨格の母方の叔父2人はいずれも50代の時に病が見つかって日本人男性の平均よりずいぶん早く亡くなり、母も今の日本では長寿とはいえない年齢で他界したことが頭をよぎります。

まあいい。

明日は明日。目の前にある選択肢、世の中にとって、自分にとって、よりマシな方を選びながら、前に進むのみです。

みなさま、よいお年を!

September 03, 2023

離島を散策。 〜レンゲル島〜

 週末、ポンペイ本島からボートで15分ほどの離島、レンゲル(Lenger)島を散策してきました。



旧日本軍が整備した飛行機の離着陸場

おそらくは駐屯地のゲートの門柱

砲台の一部分かなあ。旋回する構造なのは窺える。

山頂の司令部か。

トンネルや塹壕もあちこちに。

発電機と思われる。




貯水設備でしょう

飴細工のような光沢の植物。

車両?

よく分からない大きな鉄部品が散在。

ポンペイ本島を望む。

オイルタンクらしい。

隣のサプティク(Sapwtik)島。

精霊の木。夕方にこの木の洞に入ると帰って来れなくなるという言い伝え。トトロいる?



 第二次世界大戦が終わるまで、旧日本軍が整備していた拠点のひとつです。日本から3000km以上離れた太平洋の島々で、戦前の日本は数々の軍事・経済の活動を展開していました。

 レンゲル島は地元一族の私有地。1990年代末から2000年代初頭までは簡単な観光施設もあったようですが、今やそれも朽ちていました。旧日本軍の遺物も草木や土砂に埋もれてもはや近付けないところ、何があったか分からなくなっているところもあって。

 「夏草や兵どもが夢の跡」と言うには繁茂しすぎる夏草です。

撮影:iPhone12 mini
Special Thanx : Kanji Nonbe

July 08, 2023

Joeのはなし。

 南の小さな島にも髪を切る店は何軒かあって。

どの店も当然、日本の美容室のようなセンスやテクニックは期待できないし、期待もしてないいだけど、とはいえ周りから「あそこはマシだよ」と言われた店で散髪してます。

茶色の長髪で、おばさんのようなおじさんのJoeがやっている店。ハサミは滅多に使わず、バリカンだけで器用にカットしてくれます。

いつも割と混んでる店だけど、ある土曜日の朝、早めに行ったら僕がその日最初の客で、一人。

Joeの英語と僕の英語はなんだかすごいズレててよく通じないんだけど、僕が日本人だと分かると、問わず語りにJoeの話をしてくれました。ときどき、なよっとした笑いを挟んで、ときどき、僕の肩を触りながら。

1989年からヘアーカットの仕事を始めた。
この島に来て12年になる。
若い頃、日本に行ったことがある。日本では週末にダンスの練習をしていたわ。
日本で稼いだ友達が何人もいる。フィリピンに戻ってジャグジー付きの大きなプールがある家や、コンドミニアムのビルを建てた。そこによく誘われたのよ。
日本は自分みたいなゲイでも問題なかった。性転換して豊胸手術してダンサーやって稼いだ友達もいる。私はそうしなかったけど。
あんな札束を見たのは、あのときだけだったわ。
マニラは日本と同じ、なんでもある大きな街。この島では稼げない。でも、いいの。使うところもないから。ここにマニラみたいなショッピングモールはないでしょ。服も靴も、中国製の売ってるものを買うだけ。
いつか、また日本に行くとき、あなた手伝ってくれる?

* * *

そうか、日本でフィピンパブが流行って、フィリピン人ダンサーがたくさんいた頃のはなしで、たぶんJoeは、ルビー・モレノと同じくらいの世代。

Joeはいつもより時間をかけて、僕の髪はいつもよりだいぶ短くなった。


July 02, 2023

人口の少ない島で暮らす。

 


結構な数の開発途上国にそれなりの期間滞在してみて、さらには住んでみて、それぞれの国の生活のハードシップ、困難さについて考えることがあります。

そりゃね、アフリカは大変だった。インドも大変だった。東南アジアの某国も、街から離れたところは大変だった。

それで今、太平洋の島に長居しているんですけど、で、ここは一人当たりGDPとかそういう指標で見ると割と開発水準の高い国ということになっているんですけど、でもまたアフリカやインドとは別の生活の厳しさがあるなと。

そう感じる最大の原因は、なんといっても人が少ないこと。今のこの島の人口は3万数千人。この程度の人口だと、ちょっと凝ったサービスや商品はマーケットが小さ過ぎて商売として成立しないので、入手困難になっちゃう。

病院はある。最低限の内科医、外科医くらいはいそう。でも、専門医はいない。X線写真は撮れるけど内視鏡は無理。メガネもたぶん作れないし、歯科医もまともなのはいない。

服や靴の選択肢はない。あるもの、サイズの合うものを買うしかない。

決まりきった食べものしかない。現地の人が好んで食べるもの以外は、希少だったり入手できなかったり。

あらゆるものの選択肢が限られる。食品、電化製品、車、文具や工具、食器や生活雑貨、家具や寝具、みんなあることはあるんだけど、「えー、これだけ?」っていう中から選ぶしかない。もしくは2、3か月はかかる海外からのお取り寄せになる。それもかなり割高の。

死にはしないんだけど、生活の質はかなり悪い。いや、事故や怪我、心筋梗塞や脳梗塞だと救急治療は怪しくて、日本だと助かるものも、ここだとやばいな。

ところが、島の人たちの平均的な金銭収入はそんなに低くない。なので、貧困国とはみなされない。生まれながらにこの島の人はそれが当たり前なので、不便なんかそんなに感じてない様子。

たとえ開発途上国でも、人口が多ければ一定の中間層や富裕層がいて、また外国人のコミュニティもそれなりの規模があって、首都ではそれなりのサービスが揃ったりするものです。ガーナのアクラにだって寿司屋はあるし、ジンバブエのハラレにだってフライドチキンやハンバーガーのチェーン店はある。

それが人口3万人で孤立している島だと市場が成立しないので、日本みたいな消費者が王様の国から来ると、とんでもなくクオリティ・オブ・ライフの低いところになっちゃう。

ノーベル経済学賞を受賞したアマーティア・セン博士は、「豊かさとは選択肢があること」と喝破したそうだけど、まさにそう。このセン博士のいう意味で、島は貧しい。お金は持っていても。

人口3万人の島には大学もない。若い人たちにとっては、島でなんとなく生きててもそれなりに楽しくは暮らしていけるんだろうけど、人生の選択肢が少ない。結果、若い人たちは就学と就労のために、また大人も子供も病気になれば治療のために島を出てしまうので、元々人口が少ないのにさらに人口流出が起きていることが問題となってしまってます。

May 20, 2023

海外暮らしと日本の暮らし


24歳まで九州の地元から引っ越したことがなかったけど、就職して上京したら日本人に馴染みの薄いマイナーな国への出張を繰り返すようになり、30歳を過ぎた頃に最初の海外赴任。中東。

赴任を終えて帰国するも転職を繰り返し、やがてアフリカ赴任の話をもらってそこで5年。

いい加減、転職は難しい年齢になってしまったけど、今は訳あって南洋の島暮らし。

とはいえ、年に1回くらいは帰国し、東京と地元九州でしばらく過ごすという休暇を取っています。今回も約1か月の一時帰国。この時ばかりと日本の友人知人たちに会い、食べたいものを食べています。

人生のいい時期をかなりの間、変な途上国で過ごしてしまい、東京や地元のよさを十分に味わえなかった一抹の後悔を、一時帰国のときに感じます。それを埋め合わせるかのような1か月です。

しかし後悔はするかもしれないけど、後悔をするのも、海外に出て日本の良さを知ったからなんですよね。

時間には限りはあって、ずっと日本で暮らし続けることと、海外暮らしをすることの両方を満たすことはできなかったのです。これでよかったとしか言えない。「ずっと日本で生活するという選択肢もあったよな」と思うのは、後悔とさえ言えない、郷愁や懐古に近いのかも。

時間、エネルギー、若さ。限られた資源をどう使うか。トレードオフ。

年を重ねるということは、限られた資源をどこに使い、ありえた選択肢の何を捨てるかを決め続けることだったのでした。


December 29, 2022

お誕生日おめでとう、自分。


みなさま、お誕生日のメッセージありがとうございました。

年末の仕事納めの日が誕生日で、毎年否が応でも一年を振り返る日になってしまいます。

2022年、疫病に戦争に暗殺と、ほんの数年前だったら「まさか」と失笑を買うに違いない出来事が続いて、当たり前と思っていたことが当たり前ではなかったのだと認識する年でした。

仕事の上でも世の中の情勢を受けた動きがあったりして、「大丈夫なんか?」と不安が先立つことも多かったです。

そして。
2022年は一番親しい友達の一人を亡くしました。同年代の友達で、悲しいという単語では表現できない喪失感を、いまだに噛み締めているところです。

それでも明日はやってくる。まもなく新しい年を迎えます。大きなことはできないんだけど、少なくとも選べることがあれば、世の中にとって良い方を選ぶようにしよう、今はそんな風に考えています。

みなさま、よいお年を!

September 24, 2022

一時帰国の件。


しばらく日本で働いていたので「一時帰国」の感覚から遠ざかっていましたが、久しぶりに「一時帰国」。4か国目の海外暮らしがちょうど1年になりました。

およそ1か月の予定で、実家のある福岡と、東京と。

胃と大腸の内視鏡検査を含む人間ドック。胸部レントゲンの怪しい写り込みは、その日のうちにCT撮影してもらえて助かりました。

歯の治療。通常なら7回くらい通院する治療内容を3回で。小林先生、いつもありがとうございます。

皮膚科も。水虫かと思っていたところは、そうじゃなかったです。

東京の本社に顔出して、報告と相談。

3月に亡くなった友人の葬儀に行けなかったので、遺灰を預かっておられる彼のお姉さんのところにご挨拶。

実家。父と、柴犬のマルと、母の三回忌。甥っ子と焼肉。

ロイヤルホスト、28蕎麦、カステリーナ、餃子の福包、三是寿司、神戸屋、ぱいかじ、ディストリクト、第一玉屋寿司、ウエスト、アイヤラー、聘珍樓、十六番館、ブルックリン・パーラー、峯松本店、江藤家、南国酒家、ふもと赤鶏、ごはんなかよし、さんさん、セガフレード、伊勢屋、濠、真田、ターリー屋、ライフ・サン、アネアカフェ、稲田屋はなれ、バンコクガーデン、龍、ジョーカー、ロティセリエ・ブルー、サイゼリヤ、梢、一品香、亜李蘭別邸、牛時。

ふじもとさん、たかおさん、なかむらさん、ふじもとさん、あそうさん、みやたさん、はばさん、ありまさん、こたにさん、たまおきさん、たなせさん、もりたさん、みやけさん、わきざかさん、つちやさん、なおこちゃん、あさこちゃん、ななちゃん、はるくん、おとうさん。

お腹いっぱい、胸いっぱいの一時帰国。みなさんありがとうございました。

また一頑張りしてきます。

March 31, 2022

(追悼)Nのこと。



 「困ったな。」

咄嗟のことに何も言えなくて、ようやく出てきた言葉がそれだった。

ビデオ通話で話したい、そう言われて何事かなと思ったら、

「Nが亡くなりました。」

と彼は言う。見ると泣き腫らした目をしてる。

そうか、こういう時は泣くのか。でも、唐突すぎて、何の反応もできない。

「困ったな。」

そう、困るんだ。Nがいなくなると。

僕が、よりによってこの新型コロナの折に海外赴任しようとしてあちこちで足止め食らって、赴任したらしたで今度はそこから出れなくなって、そんなこんなでしばらくNには会えていなかった。もしかして1年近く会ってないのか。

でも、Nを拠り所にしてたんだ、実は。

「これは今度会う時に。」

「これ、聞いてみよう。」

「これ自慢してやろ。」

いつもNの存在があったのに。やいのやいの言いながら、結局頼ってたのに。

*   *   *

Nとは大人になってから親しくなった。近くにいるから、級友だからと親しくなる子供の友達ではない。大人になって、ちゃんと自分が自分として独り立ちしてから親しくなった。そういう貴重な友人だった。

僕とはタイプの違う人種だったけど、逆にそれが良かったのかもしれない。ベタベタするわけでもない、大人の友達の距離感が良かったのか。

そして、僕はNとたくさん旅をした。

石垣島、波照間島、八丈島、ジンバブエ、アゾレス諸島、谷川岳、ラダック。。。

新型コロナのせいで出入国制限が厳しくなってしばらく旅には出られてなかったけど、今僕がいる国の国境規制が緩和されたら、真っ先に来るのはNのはずだった。その時はNのパートナーも一緒の予定だったよな。

Nは、昔、僕と知り合うよりも前、この国に来ようとしたけど都合が合わなくて目的地を変更したことがあったという。でも、旅先の情報収集はしていて、その時入手したというこの国の立派な地図を、僕の赴任に際して餞別がわりに持たせてくれた。


なんだよ。遺品じゃないんだからさ。

最後に一緒に旅行したのはラダックってことになってしまうわけ?

Nが病院に入ったというその日も、僕のLINEメッセージには普段と変わりない返事をしてたじゃないか。

渋谷で、新宿で、数えきれないほど、毎週のように飲んだじゃないか。そうそう、桜の季節には、今はもうないあの渋谷のバーによく行ったよな。窓から満開の桜がよく見えた。

*   *   *

Nは中島みゆきのファンで、地平線しか見えないようなアフリカの平原の一本道を2人でドライブした時も、Nはカーオーディオで中島みゆきを流した。なかなかシュールな時間だったよ。

そうか、中島みゆきか。Apple Musicで探して運転しながらかけてみると、訳がわからない涙が出る。運転できないじゃないか。


困るよ、いなくなられると。



August 28, 2021

新型コロナの渦中に、南の島に行く。

 


南太平洋の島ですよ。そう言われたのは2020年のたしか2月頃でした。そして本決まりになったのが4月。

アフリカから帰国してから既に7年が経過し、そろそろまた海外で仕事をする話になることは想定済み、母の病状が思わしくないのでできれば近い国がいいなと思っていたので、南洋の島国を持ちかけられた時にもそこまでの驚きはなく。

しかし新型コロナの感染が世界的に広がり始め、前の年の11月や年明け2月に予定していた海外出張がキャンセルになっていて、そんな時期に南の島になんか赴任できないよな。

案の定、太平洋の島国はどこも我先にと外からの人の入国受け入れを厳格化し始めました。島という孤立した環境では一度ウィルスが入ってきてしまうと手に負えない、十分な医療体制もないので仕方ない。とりあえず国境を閉じるしかない。

・・・それから1年半近く経ちました。島の人々の感染症に対する過剰なまでの恐怖心も相まって事実上の鎖国が続き、感染者ゼロを記録してはいましたが、海外に取り残されて帰国を希望する自国民にさえ入国を認めないなんていうことをいつまでも続けるわけにもいかず、極端に厳格で神経質な検疫管理措置と引き換えに、少しづつ少しづつ、外からの人を受け入れ始めています。

1年半の間に母が他界し、四十九日が過ぎ、初盆まで迎えました。母が最期に僕にかけた言葉は「いつ行くとね?」でしたよ。

母よ、その答えは2021年8月でした。あなたの初盆の法会の後、すぐ。

検疫だの隔離だの消毒だの、成田を出発して2週間が経ってもまだ最終目的地に着いていないけど、どこにいても海を感じられる小さな町で、自分史上4か国目の海外勤務が始まろうとしています。



March 20, 2021

冒険する人、慎重な人。

 リスクの認識には本能的に個人差があって、それは動物としてのヒトの生き残りに意味があったのだと思う。神経質で怖がりなタイプは生活の維持や子育てに有利だったはずだし、冒険的で怖いのも知らずなタイプは生活圏の拡大や新しい食料の獲得に貢献したはず。だから今でも、冒険的なタイプから慎重なタイプまで、人のリスクの認識には幅があるんだろうね。

 しかし動物としてのヒトは大きく進歩して、知能を駆使し自然を分析し理解する種となり、かなりのところまで科学的、定量的にリスクを評価できるようになりました。社会全体として、人類として、より有利なリスクの取り方ができるようになったはずです。

 そうすると、科学的、合理的なリスクの取り方が、個々人の直感に反することも出てくる。合理的に考えれば安全なんだけど安心できない、みたいなね。

 みんなの利益、よりよい社会のためには直感に反することでも乗り越えていく必要があるでしょう。いつまでも「お気持ち」優先ではいけないし、そこにリスクコミュニケーションが期待され、マスコミの役割が重要になるはずなんだけどな。

 とはいえ、マスコミもボランティアじゃ維持できないし、収益を考えなくちゃならない。収益考えたら娯楽、お気持ち大事だし、難しいね。

March 14, 2021

2011年3月11日、僕は在留邦人でした。


 あの日僕は南アからロンドンに移動していて、ヨハネスバークの空港のテレビで津波のニュースを見た見ず知らずの人たちから「お前は日本人か?大丈夫か?」とたくさん声をかけられた。

 ロンドンのホテルで受付のお兄さんが、普段は有料のインターネット接続を無料にしてくれて「これで日本のニュースを見れるよ」と。

 ロンドンの事務所での用務を済ませて、あとはホテルの部屋でネットばかり見てた。「がんばれ、日本。がんばれ、東北。」と日本語で書かれた英字紙が届けられた。

 素直にその気持ちがありがたかった。

 僕の親戚縁者は九州に集中してる。当時の同僚の日本人もなぜか西日本出身者ばかりで、生命財産に直接被害を受けた人が周りにおらず、当事者感覚が薄いと言われればそうかもしれない。

 それでも、何もできず、何もする気にならず、ただただ気を揉んでいる間に時間は過ぎていった。

 2011年3月11日、僕はTwitterで一言だけツイート投稿している。

 「祈るしかない。」

March 07, 2021

10回目の3月11日を前に。


 はっきりした四季の移り変わりで時の流れを五感で覚える。

花が咲き、花が散るのを見て、何事もとどまることなく移りゆくことを知る。

時には大雨、大風、そして地震、また火山の噴火に襲われ、変わらないと思っていたものも果敢なく失われることを思い知らされる。

形あるものはいつかは壊れることが前提。永遠の時に耐える建物ではなく、木と紙の家を建てた人々。

それなりの月日が経つと社ごと建て替えてしまうことをしきたりとして、式年遷宮を行うお宮は伊勢神宮だけではない。天皇の代替わりという国の一大儀式であるはずの大嘗祭をその時のためだけに建てたお社で執り行い、式が終わると解体してしまう。

(そんな国に、世界でもっとも古い木造建築が現存し、百年どころか数百年、中には千年の歴史を誇る会社組織が多数存在しているのが逆説的でおもしろいのだけど。)

むしろはかなさを内に取り込み、時々に万物の営みを愛で、嘆き、喜びも悲しみもただそのままに受け止める。その心持ちこそ「もののあはれ」なのかなと。

そして僕たちは、明日も生きていく。

*   *   *

東日本大震災10年の節目。

February 23, 2021

色褪せた暮らし。


 


 優に1年を超えました。新型コロナ感染症が騒ぎになってから。

 誰かが「色褪せた暮らし」と表現していて、まさにそうだなと。

 仕事にも私生活にも大きな変化を強いられ、中には大変な苦境に陥る人もあり、経済もガタガタ。しかし大方の人はぶつくさ言いながらも生き延び、なんとか暮らしを守ってる。「不要不急」と言われたものが生活の中から消え、人との出会いが減り、会話が減り、雑談が減った。なにしろ今の日本は単身世帯が35%を占めていて、家族以外と会うなと言われたら一人になっちゃう人が少なくない。それでもみんな生きている。食べて、人とあまり会わずに仕事して、寝る。

 綾波レイかよ。

 戦争や大震災の時みたいに暮らしが破綻したわけではない。その気になればオンラインであれば人と話はできる。暮らしは回っている。なんなら株価は30年来の最高値。

 それでも、だ。色が、彩(いろどり)がすっかり失せてしまった。味気ない日々。

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 生物種としてのヒトが人になったのは、死を認識するようになってからだという説がある。動物は死を認識しない。今を生きているだけ、眼前にある環境に最適な反応をしているだけの有機的なシステムで、システムが劣化、老化して動作が止まってしまえばそこまで。ところが人は、生体活動が停止して生物が物体に変わるのを見て、そこにあった意識や人格、知恵や経験、その人の存在が失われてしまうことまでも意識する。


 先史時代の墓所の遺跡を分析すると、人骨とともに花粉の痕跡が検出されることがある。死を認識した人が、亡くなった家族に、同胞に、花を手向けた証拠だという。

 色だ。花の色。

 言ってみれば、花を手向けることも「不要不急」。花を供えたからといってお腹いっぱいになるわけでないし、敵から逃れられるわけでもない。でも、人は色を添える。

 人は不要不急のことで人たりえている。人は色を愛でるから人だ。

「色褪せた暮らし」が終わるのが待ち遠しいね。